がむしゃら

日々やっていることや思ったことをつらつらと

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今日何曜日だっけ?あ、水曜日か。なんて単調になりがちな日々をぶっ壊していくために、定時になると勢いよく会社を飛び出して帰路に就く。

別に仕事が嫌いとか何か不満があるというわけではなくて、そう、この飛び出す瞬間は、なんというか、非常に爽快なのだ。「まだ、今日は終わってねえぞ!」的な。「最近の若者はこれだから困る」なんて最近のおっさん達は思うかもしれないけどしゃあない。最近の若者だし。

今日は何をしようかな、なんて電車に揺られながら考える。どうでもいいけど最近(とっくにかもしれないけど)ポケモンGOやってる人多いよね。駅前でおっさん達がこぞってやってるの。やり込み方が若者よりえぐいのよね。最近のおっさんはこれだから困る。俺もひっさしぶりに再開しようかな。最近の若者だし。

飽きた

 

「普通」とは何だろうか?

 

ふとこんな疑問を抱いてから、「普通」について考えることが多くなった。 

 

ある共同体の中で大多数は、「普通」でいることによって、マジョリティ(多数派)へ加わっている。対して、マイノリティ(少数派)は、どこかのタイミングで「普通」でなくなった人たちのことを指す。

 

「普通」でなくなった、というところが重要で、マイノリティ自身にとってはずっと「普通」なのだ。  多数派のなかに存在する「普通」という概念によって、「普通」ではないと烙印が押された少数派が生み出されている。

厄介なところが、この「普通」という概念は規則のような形で、誰かから公表されているわけではない。 「染髪をしてはいけません」「制服を改造してはいけません」などの校則のような形で、明示されていれば大変助かるのだが、校長先生ですら「普通」が何を定義しているのか知らない。 そんなあやふやなもので、少数派が生み出され、そして多数派のなかのほとんどの人が、少数派を下に見る。軽蔑の目すら向けることもある。

「え、大学行ってないの?」「浪人してるの?」「就活しないの?」「恋人は作らないの?」「結婚しないの?」「子供は作らないの?」

これらは全て多数派が発する言葉である。

また、「普通」という概念は共同体によってガラッと内容が変わる。

 

続きはwebで。

 

🤷‍♂️

 

結局のところ

わずか2分でBigプッチンプリンを平らげてしまった。

 

最近は「食べること」と「本を読むこと」に夢中だ。

「秋」を感じるには、ほど遠い気温変化の激しさだが、体は無意識に「秋」っぽいことをしている。

 

ただ、「食べること」といっても、

「美味しいもの食べに行こっか〜!」と言って、食べログで評価3.5以上のお店に出向くわけではないのだ。

 

駅前にある西友で、半額シールが貼られた弁当を買ったり、チョコパイなどのお菓子を買ったりして、それを食らう。

 

しかも厄介なのが、深夜に食べてしまうところだ。

インターンが終わるのが基本22時で、最寄駅に着くのが23時過ぎになる。

 

もうお腹が空いている。

翌朝まで待てるわけがない。

 

あ〜〜、食べちゃったよ〜〜、あ〜〜。

 

時計の針を見て、罪悪感を感じながらも、手が止まらない止まらない。

これもう「秋」とか関係ないよね。ただの食いしん坊だよね。

 

でも、いいんです。なぜなら「秋」だから。

 

「本を読むこと」といえば、

最近だと、この3冊を読んだ。

 

君の膵臓をたべたい (双葉文庫)

君の膵臓をたべたい (双葉文庫)

 
人魚の眠る家 (幻冬舎文庫)

人魚の眠る家 (幻冬舎文庫)

 
コンビニ人間 (文春文庫)

コンビニ人間 (文春文庫)

 

 

本のレビューをするブログではないし、感想をつらつらと全て書くのは面倒くさいので書きません。 

とりあえず「人魚の眠る家」と「コンビニ人間」が非常に良かった。

 

あなたはこの問題についてどう考える?系の作品が好きなのかもしれない。

 

次は、村上春樹の作品を全く読んだことがなかったので

ノルウェイの森」を読むことにした。

 

ノルウェイの森 上 (講談社文庫)

ノルウェイの森 上 (講談社文庫)

 

 

「秋」っていいね。

 

でも別に「秋」じゃなくても、飯食うし本読むよね。

 

 

シティボーイってなんだ?

 

 

最近、愛読しているPOPEYEで、

いたるところに「シティボーイ」なんていう単語が散りばめられている。

 

シティボーイってなんだ?

 

なぜか分からないけど、おしゃんてぃなイメージがある。

そして都市的な、洗練とされた、流行に敏感な少年・ヤングアダルトを指しているような。

 

俺もシティボーイになりてえ。

だから読んでるのかもしれない。

 

ただ、この頃思うことは

都会にいるからといって、必ずシティボーイになれるわけではないということだ。

 

郊外や田舎で、「都会に住みてえ〜〜」なんて嘆きながらPOPEYEを読んで、キラキラと目を輝かせる若者こそ、ある意味シティボーイなのかも。

 

俺も銚子にいた頃の方が、シティボーイだったんじゃね?

隣の芝生は青いってやつだ、きっと。

隣どころか120kmぐらい離れてるけど。

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そういえば、「未来のミライ」を観た。

 

感想は、「Oh…」って感じでした。

演出や作画は最高だったけど、ストーリーがよく分からなかった。

 

結局何を伝えたいんだと、脳みそフル回転させて観てたけど、さっぱり。

 

その日、金曜ロードショーでやっていた「時をかける少女」を観て、お口直しみたいになっちゃったよ。

 

誰か未来で待ってませんか〜〜〜????

7年前

 

昔、何してたっけなーと振り返るのが最近の日課ですが

 

中学生の時

 

何ハマってたっけなーと、、、

 

あ、そういえば!

当時小説投稿サイト(ケータイ小説よりも割としっかりしたやつ)を見るの好きだったなあと思い出しまして

 

小説家を目指しているのか、趣味なのか分からない素人が書いた小説だけど、小説家が書いたものとは違う荒削りな感じが好きだったんでしょうね

 

まあ、読んでるだけならまだ良かったんですけど

当時、中坊だった俺は

「小説書いたら有名になれるんじゃね?(ヘラヘラ)」

っていう安易な発想で

 

やっちゃったんですよ

 

投稿してたんすよ

 

フンフフンフフーンって鼻歌歌いながら

駄作を作り上げていたわけですよ

 

もう、黒歴史!!!

アホ!!!!

 

タイムスリップして中坊の俺に会ったら

「それクソつまんないからもうやめたほうがいいよ」

と言ってあげたいくらいに黒歴史

 

 

でも、気になっちゃってね

当時どんなの書いてたんだろって

 

さっきペンネームで検索して

見つけたんですよ

 

そしたらさ

 

びっくりするぐらい初めて読む感覚だった

自分で書いたはずなのに

 

あれ?こんなの書いたっけ?みたいな

 

割と冒頭で飽きちゃって、未完成だったんですけど

なんかすっごいキラキラしてた

文面からのキラッキラが半端ない

 

いいな〜

こういうのいいよなあと

 

周りから下手くそとか言われるのも臆さずに自分の書きたいものを書く

やりたいことをやる

的な

 

中坊の俺に負けてるわ

 

いやあ、負けたくないよね〜

 

もう小説は書けないけど

 

はてなブログを始めてみた

 

こんにちは

 

はてなブログを始めてみました

 

このブログでは

日々やっていることや思っていることをつらつらと書きます

 

特に誰々に向けてっていうのは無くて、備忘録だったり日記だったりそんなスタンスで

 

よろしくお願いします